第2回総会 浅岡節夫会長あいさつ(2018年5月20日)

“水の都とやま”推進協議会 総会(2018年5月20日(日))

浅岡節夫会長 あいさつ

 

 

本日はどうも、みなさまお集り頂きまして、ありがとうございます。会長をおおせつかまつっております、浅岡節夫でございます。
昨年、5月17日に、“水の都とやま”の推進協議会が発足いたしまして、1年、同じ会場、第一ホテルで、第2回目の“水の都とやま”推進協議会を開催するにあたりまして、ごあいさつとみなさまに対する要望を申し上げたいと思います。
今回は、特に、衆議院議員の田畑氏が見えられまして、後ほど、新しい“水の都とやま”の展望につきまして、その魅力を推進するための話をされますが、サンアントニオの見学のご経験もあるので、そういう話も交わると思いますが、私も楽しみにしております。
この第2回のこの会でございますが、ま、いろいろ細かく計画されているようでありまして、そういう細かい企画はともかく、みなさま方がお集り頂いた中で、特にお考え頂きたいことの対応を述べたいと思います。
松川は、ご存知の通り、愛らしく、美しく、ささやかに流れている川でありますが、その歴史を顧みますと、実は、大河・神通川が本流で、今のところをずっと本流が流れていたという歴史があります。ですから、船橋という名前が残っておりますが、あのへん一帯は、川であったわけですね。まぁ今、市の中心部として、栄えておりますが、そこには中部高校があったりしますが、あれみんな川だったんですね。だから、船橋というのは、船をつないだ橋がそこに架かっていた名残りが残された名前ですね。そういうふうに歴史があるわけです。現在は松川が流れております。ささやかな川ですが。その資料をご覧になるとおわかりの通りでございます。そういういきさつがありますが、この松川を考える場合にですね、私が、大きな考えをみなさんに持って頂きたいのは、もっと理想を持って頂きたいということですね。それは、例えば、松川のフロンティアですとか、松川ウォーキングとか、いろいろ考えられて、それがささやかに実現されておりますが、そういうものを起点としてですね、大きな街を考えるとか、もっと市民に夢を与えるとか、大きな望みがあるはずです。とかく富山県民というのは、毎日、雄大な立山連峰を望みながら、山は美しいなとか、その程度で、それから受けるもっと心の問題を考えるということが非常に薄いと思います。それが一つの県民性になって。内側にこもって、堅実にものを考える。そういう○○が生まれたんだと思いますが、ま、気候のせいもあると思います。そういうものを発散いたしまして、もっとおおらかにですね、常に心が楽しい、美しい、というものを感じる、芸術性、そういうものを持って、人生をもっと楽しくするために、観光や、そういう問題でも、政治、行政にあたる方はもちろん、今日は特に、政治家が少ないんじゃないかと思いますがね。こういう人達には、細かい選挙のことばっかり考えたり、票に結びつくことばっかり考えたりしないで、それも大事なんです、生活に結びつくではね。たしかに、実質、市なら市の、街の小さな部分からモノを考える、そういう姿勢も大事だっていう方に、人間としては、世界を見渡すような、大きな心を持ってないと、いい政治は生まれないと思いますね。行政にしても同じです。与えられた細かい事務的な仕事を的確に処理する、そういう能力も大事でしょうけども、そんなことのみで生きていたら、やっぱり相手がいるわけですよ、行政にしても、政治にしても。それは、国民であり、市民であり、県民であり、そういう人達が心に抱いている大きな理想に果して則しているのだろうかってことを考えてほしいと思いますね。そういう意味で、松川を中心とした水の都を考えると、川がいかに美しいかは目で見る、「あ、美しいな」という、そういう感覚だけじゃなくて、心にどうそういう問題が染み渡ってくるか、そういうことの方が大事だと思います。人間がそれぞれたくさん生きているわけです。で、それぞれの人生を謳歌しているわけです。その生き方を考えた場合に、毎日、お金の計算ばっかりしている、そんなことだけで楽しいでしょうか?ってことから、川の問題だって考えてほしいと思うんですね。ですから、今日は、もっとスケールを大きくもって、みなさま方が、水の都とやまのこの美しい郷土を考えて頂く会にして頂きたいということを切望するとともに、私の命、明日死ぬかもしれない、私実は、満87歳です。ね。このあいだ、リサイタルをやりました。ま、こんな話をしたら、余計な話かもしれませんけど、そのリサイタルにしたところでですね、どうせ、老人が死の直前に、自分の一生やってきた歌を披露するんだろう、椅子に寄りかかりながら。っていうような気持ちでいたかもしれませんけども、ここでも私は大きな理想を、これを決めた途端に頭に描いたんです。例えば、カンツォーネのステージが、ここでは三大テノールという世界に冠たるテノールが朗々とした声で歌いますが、それに負けないのをやってやろうと思って研究したり、あるいは、藤原義江(よしえ)という声楽家が、浅草でささやかなオペラをやって、ふざけてた時から、野人としてその一生を活躍しましたが、最後は、粋な姿、白いマフラーでですね、帝国ホテルに颯爽と現れた。あの姿に私は、同じ生涯を送っている人間として、大変尊敬しています。あるいは、私が勤めていた学校に、池田弥三郎という有名なタレント教授、慶応大学のね。この人は、銀座の天婦羅屋さんのせがれでありましたが、実に立派な学者でもあります。ただし、この人の素晴らしいところは、ユーモアに満ち溢れて、楽しく人生を送る。本当に見てて、素晴らしいなと思う人の姿でした。こういう人が溢れてこそ、富山はもっと楽しい、生きがいのある、目を輝かした、同じ立山を見ても、立山は美しいんじゃなくて、あー、世界に冠たる立山、これは心に響くな、と思って、毎日、眺められるでしょう。水の都にしてもそうです。あ、私、昨日、考えてみたら、あれなんていう…あれは、庄川町の鮎料理屋で、鮎のたくさんの料理を食べて、堪能しましたが、ついでに鯉のあらいだとか、お酒を飲んだりして、本当に、心から楽しみました。それが、同じこれを食べて、あ、おいしいなと言って鮎をただ、食べるのとは全然違うんです。串に刺した鮎を眺めたり、その美しい姿を見たり、あるいは、器に盛られた様々な鮎の料理が、器から美しいとか、心とのいつも勝負をしてました。お酒は、たくさんすすめられましたが、私が気に入る今日の立山、これはおいしいなと思って燗を頂いて。つまり、お料理を食べるにしても、心で感じると、その味は、3倍も4倍も素晴らしくなります。そういう1日で、最後には、そこのお湯につかり、あるいは、庄川の水を、それから季節の若葉を堪能しました。すべて、心との勝負ですね。人間は。この美しい世の中を美しくないと思う人は、人間の様々な争いや葛藤、そんなことばっかりをニュースやなんかで入れてはイライラ、イライラしてる、毎日を送ってるんです。こういうものから、解放されて、一人一人を考えてみましょう。そしたら生活はどんなに豊かになるか。同じ身で、松川を中心とした川を考えたら、もっと雄大に、スケールの大きな考えが浮かぶんじゃないかと思います。今日せっかく、ご参加頂いた皆様方の気持ちを逆なでするような一面もあったお話だと思いますが、どうか、年寄りということで、免じて頂いてお許し願いたいと思います。ただ、絶対忘れないでください。理想と、希望と、現実を踏まえた上で、この会が及ぼす影響が、本当に広がるようにお願いいたします。あらっぽいお話で恐縮ですが、型通りのごあいさつじゃ気がすまないので、ついはみだしてしまいました。これであいさつとさせて頂きます。