「第2回勉強会」を開催しました
2018年1月28日(日)13:00〜16:00過ぎ、松川茶屋で、第2回勉強会が開催されました。
今回は、司会・進行役の尾山謙二郎氏のご提案により、そもそも論として、「なぜ、松川で行なうのか?」について、各出席者から忌憚のない意見を語って頂くというスタイルで行なわれました。
その中では、「富山市内で活気ある場所をつくる場所はここしかない」「昔、神通川が流れていて、富山城があって、北前船からの物流が木町の浜(今の松川といたち川の合流点付近)で、荷揚げされた。(神通川を川流しした)木材をここで揚げていたから、『木町』とついた。なぜ、木町には材木屋と薬屋さんが多いか?そういう歴史がある」「協議会設立の目的は、松川、いたち川、富岩運河の一体化かと思っていた。富山市に憩いの場がない。これで、街のど真ん中を川が流れている街はない」「サンアントニオに何回も行っている。世界に冠たるリバーフロント。ゼロからスタート。1000万人来ている。いっぱい川際を歩いている。お店はみな超満員。朝から歩くと水をやったり掃除している。ここでサンアントニオのようなことがやれるなら、やってみたい。松川には世界一のリバーフロントになれる要素がいっぱいある」「今の松川の電気ビルの駐車場(佐藤工業本店の横)は、昔、料亭があった。その隣は、(ますのすしの)源さんの(料亭)。船をつけて、あがれるようになっていた。以前、(江戸時代の千歳御殿のように)、堀を掘って、というプランもあった。桜木町は水が出る。地盤がよくない。いずれ何かしないといけない。そんな歴史を復刻する」「松川は、富山のプライドの場所」「近くに住んでいる者として、金沢や高山に行かなくても、富山で楽しめる場所があったら」といった意見が出ました。
そして、「具体的なプランが必要。夢を語ろう。中途半端なプランでは人を動かせない。例えば、お堀と松川を一体化して、お堀から、富岩運河環水公園まで行けるようにするとか。通年で、冬場でも。費用は寄付でも、クラウドファンディングでも。バス代わりに運航しているという既成事実が必要。松川遊覧船は運航区間が短すぎる」との意見が出て、検討に入った。まず、上流が、舟橋から先が行けない(すぐそこに高志の国文学館があるのに)。その理由は、「舟橋の上流の川底に下水管の幹線がある。水位を上げると、今度は、橋と水面の間がせまくて船が通れなくなる」。「下流は、いたち川を通って、環水公園の横まで行けないか。閘門を作れば行ける?」との意見には、「1つ高い堰と閘門を作れば可能」。ただし、費用がかかる。そこで、「乗り換えでもいいのでは?赤ライン、ブルーラインとか」との意見。「乗客が増えれば、対策を考えるのが行政。通年運航をして、人を招き寄せる努力が必要。最初は細切れでもよい」。いたち川の増水対策については、「閘門の中を船の避難所にすることは可能では?」と。いずれにしても、国の許可、県の同意が必要。「県は安全面を考えている」「社会実験的にやったらどうか」との声も。なお、1回降りて、乗り換えとなると、船を係留する場所がいるのと、人手が必要になる。船の費用もかかる。「バスのような乗り合いにはできないか」との意見も。それに対し、「現在の松川遊覧船でも、前留(ますずし店)の前の階段でお客さんをおろすことは可能。乗り合いは、可能」とのこと。
松川の環境整備については、「アンケートをとる。マスタープラン(のもとになるアイデア、夢)を公募をしてはどうか。主人公は市民。広く周知して、松川・いたち川・富岩運河のあり方を募集する。夢の50年プラン、100年プランを市民に考えてもらう。グランプリ(を選ぶことも)含めて」という意見が出された。これに対し、「自分自身、まちの中を流れる川、という認識しかなく、問題意識はなかった。市民の中には、そういう投げかけをされても深堀りできない人もいるのではないか。この場所には、こういう歴史がありますということで、公募をするならわかるけど」との意見も。歴史にまつわる話として、「富山の売薬さんが、北前船で北海道の昆布を薩摩(鹿児島)へ流していた。昆布ロード。薩摩は支配していた琉球を通して中国に売り(密貿易)、その儲けた資金が、倒幕の資金となった」「富山は全国9位の工業県で、財力があった」といった話題も提供された。また、「漫画などで、誰が見てもわかるように」「(細かく説明しても)読める量は限られている」「人の心が動くキーワード、歴史から抜き出せる物語があると思う。歴史的背景のないものを作っても誰も来ない。物語が絶対に必要。売薬の先用後利のシステムはクレジットカードのもとになった。歴史からロマンに。物語づくりを」「薬と松川(旧神通川)がうまくつながればいい。きちんと調べて」「富山城西ノ丸に監獄があって、薩摩の人を収容していた。売薬で世話になったのでと市民が差し入れをした。その人が後に大臣になって、わざわざ富山にお礼に来られたという歴史もある」「売薬は、浄土真宗を広めるため。富山藩と薩摩藩が関係が深いのは、本家の加賀藩に負けたくないというDNA。富山藩は2回、加賀藩に藩主の首をすげ替えられている」「浅野総一郎の前に、東京湾の埋め立てに私財を提供した富山の人達がいた」などのエピソードも紹介された。
最後にまとめとして、短期では、松川遊覧船の通年運航について試算する。中・長期では、乗り換え方式(レッドライン、ブルーライン、といった感じで)で、いたち川、富岩運河への航路を作る。次の会議までに、船の購入代金、ランニングコスト、船着場の場所、などを出してみる。そして、(市民公募で)マスタープランを作る。そのためには歴史的背景が大事。公募するにおいての材料。歴史とそこから紡ぎ出す物語。胸を打つ物語を。近々、詳しい方をお呼びして勉強する機会を設ける。なお、司会・進行役の尾山氏より、「2〜3カ月は、今日参加したメンバーで。新しい方が入ると、ゼロから積み上げなければならなくなる。当面はこのメンバーで進めたい」との案内があった。
その他、「5月に協議会ができて1年となるので、総会を一つの目安としてがんばる」との声も出された。
※細かい部分で、法的、技術的な検討が必要な部分があるように思いますが、現時点の議論として、書かせていただきました。なお、上記の他にも、様々な話題が出ました。
〈出席者〉(50音順・敬称略)
今井 均
尾山謙二郎(司会・進行)
中村孝一
中村珠太
中村青児
野上勝彦
松井和夫
安川弘哲
(文責・事務局〈月刊グッドラックとやま編集部〉 中村青児)