「第3回勉強会」を開催しました

2018年4月21日(土)13:00〜17:00頃、松川茶屋で、「第3回勉強会」が開催されました。

まず、元 富山県[立山博物館]館長で、越中史壇会 会長の米原寛先生から、富山(越中)のこと、松川・いたち川の歴史と見所についてお話を頂きました。

※この講演会は、第2回勉強会での、「マスタープラン(のもとになるアイデア、夢)を公募をしてはどうか。主人公は市民。広く周知して、松川・いたち川・富岩運河のあり方を募集する。夢の50年プラン、100年プランを市民に考えてもらう。グランプリ(を選ぶことも)含めて。そのためには歴史的背景が大事。公募するにおいての材料。歴史とそこから紡ぎ出す胸を打つ物語を。近々、詳しい方をお呼びして勉強する機会を設ける」という方針に基づくもの。

なぜ、富山など北陸地方が「越」と言われたかから始まり、富山は日本文化の“るつぼ”になったこと、地形的、歴史的特徴、富山県が明治16年に大石川県から分県し、当時洪水も多かったことから治水工事が進み、神通川の馳越(はせこし)線工事が行なわれ神通川が直線化し、旧流路が富岩運河の開削土で埋め立てられ、松川が誕生し、埋立地で都市計画事業が行なわれたこと、いたち川の名前の由来、いたち川に架かる橋の名前、いたち川沿いは芝居小屋のメッカだったこと、いたち川沿いの地蔵尊と水神信仰のお話、等々、大変おもしろく、興味深いお話でした。

この歴史をもとに、いいプランニングを考えてください、と励ましのお言葉を頂きました。

その後、前回(第2回)の続きとして、勉強会が行なわれ、中村珠太より、富山城のお堀と松川を西の内堀を復元してつなぐと想定した場合の水位差、松川から、いたち川を通って、環水公園横まで、船を乗り換えて行く場合の距離、段差、水位差等について、また、富山市のように、路面電車と遊覧船があるフランス北東部のストラスブールの遊覧船や閘門などについての紹介が行なわれました。


最後に、5月20日(日)の総会に向けての審議事項(案)などについて話し合いが行なわれ、閉会となりました。
なお、「米原先生のお話が素晴らしく、この内容(富山の歴史)を多くの方に知ってもらいたい」「米原先生のお話を3〜5分程のプロモーションビデオにまとめて、市民のみなさんに知らせたらいいのではないか。(そして、アイデアを公募しては?)費用の問題があるが…」といった意見もありました。

 

〈出席者〉(50音順・敬称略)
尾山謙二郎(司会・進行)
中村孝一
中村珠太
中村青児
松井和夫
安川弘哲

(文責・事務局〈月刊グッドラックとやま編集部〉 中村青児)