第5回総会 第2部 記念講演 「松川を活かしたまちづくり」中川忠昭氏(2022年5月15日)

“水の都とやま”推進協議会 第5回総会(2022年5月15日(日))

第2部 記念講演 15:00〜16:00頃
「松川を活かしたまちづくり」
中川忠昭氏(富山県議会議員)
※2003年サンアントニオ視察団として訪米

 

司会 中川忠昭先生にお越しいただいて、2003年にサンアントニオに視察をされたということで、そのことを含めて、今日は1時間、お話しをうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします。


自己紹介

みなさんどうも、こんにちは。ただいま紹介頂きました、県議会議員の中川でございます。今日は”水の都とやま”推進協議会の総会ということで、第5回の総会ということで、ご盛会誠におめでとうございました。そしてまた、このような機会を与えて頂きまして、どうもありがとうございます。うまくしゃべれるかどうかわかりませんが、みなさんのお手元の方には、常西合口用水の資料だとか、有峰を中心にした電力の話だとか、私も県政通信などを入れておきましたので、参考になれば是非またご覧になって頂ければとありがたいなと思います。そしてまた、何よりもですね、中村理事長さんを中心になさいまして、これまでもですね、推進協議会のみなさん方にはですね、富山市のまちづくりは松川にある、ということで、やっておられますので、大変すごいことだなと思っております。私自身も今ほどご紹介ありましたように、2003年の時に、サンアントニオに仲間と見に行きまして、本当に感動したというかね、世界にこんなところがあるんだな、ということをですね、大変、どういいましょうかね、びっくりいたしましてですね、これはやっぱり、富山県の松川がですね、大変似てる環境だなということをですね確信して帰ってきたわけであります。そんなことで今日は、「松川を活かしたまちづくり」ということで、お題を頂きましたので、中村理事長さんからはですね、いろいろお世話になっておりますが、とにかく何かしゃべれということだったので、遠慮なく伺いましたので、よろしくお願いしたいと思います。これは、ご存知のとおり、松川ですが、これ私が全部撮ってきてですね、どっかから取ってきたものじゃないので、うまく写真撮れてるかどうかわかりませんが、ご覧になって頂けばありがたいと思います。そして、ここにも書いてありますが、常西土地改良区の理事長ということもやってますんで、そういう立場から、松川をどうやってうまく見せることができればいいのかなという思いでですね、駄弁になるかもわかりませんが、作ってみましたので、よろしくお願いしたいと思います。

ちょっと自己紹介をさせて頂きたいと思いますが、何も資料はありませんが、ここに「Water 水」というふうに書いてあります。私は平成11年にですね、県会議員になりまして、県政通信の名前をですね、サブタイトルで「Water」というものにしたわけであります。私は、昭和47年、今からちょうど50年前、今日は沖縄が返還された記念すべき日でありますが、ちょうどその時に私は県庁の方に就職いたしまして、あれから50年になるわけですが、その大半は土地改良事業に関わる、水と土に関わる、ハードの部分をやってきたわけであります。その関わりと言えば、やっぱり、水だということで、これからはですね、その当時考えたのは、人間の体も3分の2が水でありますし、そしてまた、私たちの生活する基盤が、水がなかったら生きていけない、と。その水の清さといいましょうか、大切さといいましょうか、その当時は、これから大事にしてかなければならないものとして、水が大切だなと思って、じゃあ水で行こうということで、「Water」という名前をつけさせて頂いたわけであります。おかげさまで、富山県内も、私は県庁にいたもんですから、氷見の方に行ってみたり、魚津の方で働いたり、高岡で働いたりということで、だいたい県下の農業用水といいましょうか、そういったものについてはずいぶん勉強させてもらいました。みなさんもどうでしょうかね、富山県のこのへんに住んでおられると、神通川と常願寺川に囲まれて、本当に日本一の急流河川が常願寺川でございまして、まさしく滝だと言われている、そういうところに住んでいる人間とですね、氷見に行ってみられたらわかると思いますが、そういう水がほとんど流れていない、ため池だけに溜まった水を使いながら農業を営んでいるというところがあるわけであります。私自身も、やっぱり、氷見へ行って驚いたんですが、やっぱり、富山県に住んでいて、こんな小さな県ですけども、そういう水のありようというのはずいぶん違うんだなということをですね改めてあの時、勉強させて頂いたのであります。そんな思いで、水との関わりをやってますし、そして、今は常願寺川から流れ出る水を司る農業用水の、常西用水土地改良区の理事長と。そしてまた、東の方には常東用水土地改良区というのがあるんですが、それ2つ合わせた土地改良区でも理事長をやらせて頂いてるわけであります。ここに高見先生がおられますが、同じ土地改良区の役員同士ということでですね、高見さんがここに来ておられてびっくりしたんですが、なるほどと思ってですね、水に関わるんだなという思いで思ったわけであります。そんなことで、私は、水ということにずいぶんこだわりのある、これまで生活をしてきたので、なんかそういう視点から、松川をですね見直して、活性化を図ることができないかなという思いでですね、来ました。そして、今ほど言いました、ここに、みなさんのところにも、「世界かんがい施設遺産 常西合口用水」というこのパンフレットがいっていると思いますが、おととし、「世界かんがい施設遺産」に認定登録されまして、富山県では初めて、全国でも初めてなんですが、その中で、常西合口用水というのはですね、認定されてですね、大変嬉しい思いでございますし、これからもですね、100年以上経つ施設で、かつですね、地域に根ざして、そして、歴史的にも勉強して発展させていかなければいけない施設ということで選ばれたわけであります。この常西合口用水というのはですね、このちょうど松川が馳越になる1903年の10年前、1893年にですね、常願寺川が非常に荒れ狂っていたわけなので、そこから12の用水を直接取っていたんですが、取るたんびに洪水に見舞われて大変なことになったわけであります。その時に、常願寺川がずいぶん蛇行していましたので、その取水をするには、相当が苦労がいったわけであります。そこで、オランダ人のヨハネス・デ・レーケさんが来られて、川をまっすぐにして、そして12の取水口があったものを1つにすべきだということを提案されて、明治24年に計画されて、そして、なんとですね、12キロぐらいあるんですが、1年半ぐらいで工事を完了させたということなんです。今では考えられないことがですね起きているわけであります。そういうことで、神通川の馳越もですね、ヨハネス・デ・レーケということで、何か非常にこう富山県にとってはですね、縁めいたものがあるなというふうに思いますので、また是非、機会があればご覧になって頂きたいなと思います。今、そのことも含めてですね、地域の小学生や中学生、あるいは子ども達、そしてまた大人の皆さん方にも是非ご覧になって頂きたいということで、DVDも先般作りまして、県と市の協力を得まして作りまして、是非、そういうものも機会があればですね見て頂いて、そしてまた、訪れて頂ければありがたいなと思います。そういうことで、今ほど申し上げました、記念碑を作ったわけであります。これはどこにあるか。私どもの土地改良区はどこにあるかと言いますと、流杉病院ってみなさんご存知でしょうかね。流杉病院からちょっと500mぐらい行ったところにありますので、是非また近くに来られましたら、寄って頂ければありがたいと思います。

2023年は、神通川馳越工事120周年

そして、今、考えてみるとですね、2003年には神通川の馳越ということで、直線化100周年ということで平成15年、「川と街づくり国際フォーラム」が開催されたり、「夢の神通回廊」が出版されたなどですね、大変盛り上がった年だったなということを振り返ります。その後、富山市ではですね、2007年にはですね、松川水辺空間活用検討懇話会とか、その翌年には基本計画策定委員会などが作られたんですが、その後、ずいぶんなんか、尻切れトンボになってしまって現在あるんじゃないかと思います。そういうことで、来年はですね、下にも書いてありますように、120周年を迎える年というのが事実でございますので、何かきっかけを作っていかなければならない年ではないのかなというふうに思います。そういうことで、中村社長もなんかないのかなということで、私に声をかけて頂いたのではないかなというふうに理解しているわけであります。そういうことで、今、皆さんもご存知の通り、コロナで大変なことになっていて、私たちの日常が変わってくんだろうと、生活スタイルも変わってくるんだろうと思います。というよりも、変わらなければならない、そういう時代にきてるんだろうと思います。そして、知事も市長もお変わりになってですね、その連携だとかいろんなことがこれからも期待できるわけでありますし、何よりもこの2人がですね、共通なのは、「幸せ」という言葉なので、「ウェルビーイング」というのは「真の幸せ」ということで、身体的にも、精神的にも、幸せになりたいと。今までの経済のデータだけで豊かさを感じるんじゃなくて、人間としてそういう幸せを求めていかなければいけない、そういう時代だと、いうふうに、知事も言っておられます。そして、藤井市長は、「幸せ日本一」な市を目指そう、ということで、共通しているのが、「幸せ」なんだなと。そういうことを考えた時に、私たちのライフスタイルを変えながら考えながら、どういうまちづくりがいいのかということを考えるいい年ではないのかなということを思ってます。そして、今日は、私は土地改良区もやってますので、今日の話は、松川への水はどこからこうきてるんだろうか、という話と、それから、真の「水の都とやま」に向けてですね、どうしたらいいんだろうかな、と。そこらへん、街の中に水を流したらどうか、と、いう話。それから、松川を活かすには、馳越の歴史は充分ご存知なんだと思いますけども、やはり、立山から流れ出る水の源流を辿ってですね、ここまで水がきてるんだということをですね、やはり、語れること、語ることがやっぱり大事じゃないのかなというふうに思います。そしてまた、まちづくりという点については、これまで、街の中に公園を作る、という発想なんですが、そうではなくて、公園の中に私達の街があるんだ、という発想を転換をしてですね、まちづくりをすることにしなければいけないんじゃないかと。その上で、松川周辺の整備はどういうふうにあればいいのかなということを、一つ二つ、しゃべってみて、そしてまた、それらを実現させるにはどうしたらいいのかなということを皆さんで考えるきっかけを何かしゃべってみたいなというふうに思ってます。

常願寺川からの水が流れる松川

そういうことで、松川の水ってどこから流れてきてるか、ということなんですね。これは常願寺川です。これは神通川ですね。神通川っていうのは、岐阜県からずいぶん広い流域を抱えて流れ込む神通川で、常願寺川の流域と比べると、10倍ぐらいの広さから水が運ばれてくる神通川。これ、防災面で大変今、課題もありますけども、そういうところ。それが、私どもも住んでいるのが、この常願寺川水系であります。ここに、常願寺川の支流には、称名川、その隣に、真川、そして、有峰ダムがある和田川という川があって、その隣に、小口川という川があります。そういう渓流からですね流れてきた水が、横江の頭首工というのが横江にありましてですね、そこから水を取水してるわけです。これは農業用水を取水しているわけです。その農業用水が、大川寺の上滝の駅がありますが、あそこに流れ込んで、そこから、常西用水がずっと始まりまして、新庄の赤門というところまであるわけです。そういうことを考えると、まず、この水っていうのは、我々が住んでいるこの流域の水というのは、常願寺川の水が流れ込んできているんだということをですね、是非、わかって頂きたいなというふうに思ってます。そして、その水がですね、今申し上げました、称名川、真川、和田川、有峰ダムに貯めた水、小口川ってあるんですが、そこに有峰というパンフレットを北陸電力から頂いてきましたが、その中には、水をあっちやったり、こっちやったりしながらですね、最大限、水の落差を活用しながら、水力発電をしてきてるということなんです。ですから、1回使った水をですね、すぐに単純に流してる水じゃなくて、本当に有峰の開発をですね、今から60年、70年、もっと前ですね、考えられて、昭和30年代ですから、いろんなトンネルを掘って、水をあっちやり、こっちやりして、なんと20数カ所の発電所を経て、我々のこの赤い部分にですね水が流れ込んできている、と、いうことだということをですね、是非、わかってもらいたいなと思うんです。何よりも、立山カルデラにはですね、安政の大地震がありまして、大鳶山、小鳶山が崩れてですね、川を堰き止めて、それが、水位が上がって、一気に崩れてしまったということで、すごい残土が残っているわけであります。それが、大川寺の、後でご紹介しますが、いたち川を中心にしてですね、この富山市、柳町の方まで石が転がってきたということなわけであります。しかしながら、今こうやって考えてみると、そういう歴史があった中で、そういう水っていうのは、今、私達のここへ、水が届けられているということを、是非、歴史としてですね、考えてみなければいけないのかなと。そしてまた、何よりもですね、ここに立山水系から流れてきた水が、水道水としても、富山市内の、ほとんど旧市内の90%以上がですね、常願寺川の水をですね、流杉のあそこへ、要するに、常西用水を経由してきて、流杉病院のそこにある浄水場に運ばれて、そこで浄化されて富山市内にくまなく、水道水が行っているという事実があるということです。ですから、富山市民にとったら、この立山の近くに降った雨がですね、全部、雪水とともに流れてくるのは、立山のそういう苦労があった水がですね届いて、豊かな富山市街地を作ってきているということを是非、皆さんが共有すべきことではないのかなといふうに思うわけです。そして、これ、時間がなくて、なかなか色を塗れなかったんですが、これ、昔の常西合口用水のどこまで水が通ってる、ここがちょうど大川寺のところで水神社があるんですが、用水というのはここにこういうふうに流れてきているわけです。ここがちょうど新庄でありましてですね、赤門というところです。これが常西用水の幹線なんです。そして、いたち川というのは、ここからこういうふうにこう、昔からあるわけです。そして、これが、昔の市街地。ちょうどここらへんが、境目がですね、大泉の方です。そして、西中野から磯部、このへんが磯部村というところなんです。このへんが一つの富山城を中心にした町であったということです。これが、ここが神通川の流れでありまして、ここが今、松川になってきてるということです。今現在は、これが、さっき言った横江の堰堤がありまして、そこから水を取って、大川寺の下から流れてきて、ここが一番頂点になってまして、常西幹線用水がここまで来て、新庄の赤門まで届いているわけです。で、ご覧の通り、こうやって、いろんないくつも水路がですね、用水が流れ込んで、このへんの田んぼをですね、農業用水として潤してきたと。今も潤しているわけであります。これが松川ですね。だから、もともと神通川にあったところが松川になってまして、水がこういうふうに北西の方に全部、傾斜によって流れてきてると。そして、赤門の方から、針原とか、浜黒崎の方に向かってですね水が流れていると。だいたい大まかなイメージを見て頂ければいいと思います。

いたち川の始まりは、西番の葬祭場の駐車場にある
常西用水からの取り入れ口

それから、さらに、同じ絵ですけども、こんなふうに細かくですね、後で言いますけど、人間の身体の血管のようにしてですね、常願寺川から流れてきた水が神通川の方に向かって流れている、と。一部はですね、海の方へ直接、流れているということです。これはですね、人間の身体で毛細血管があるようなもので、土地改良区というのはその農業用水を維持管理するということは、水そのものを管理するのと、その器である水路をですね管理するということなんです。そこに物が詰まると、脳梗塞を起こすようなもので、断面が小さくなったり、土がたまったりするとですね、まさしく脳梗塞を起こしてしまって、パンクしてくと。そういうようなことにならないようにですね、しっかり管理していかなければいけないということなんですね。で、幹線の大動脈と言われる、動脈とか静脈については、県とか市が、あるいは、土地改良区がメインになって管理してますが、細かいところについては、やっぱり農家の皆さん方が田んぼ一枚一枚に水が行き届いていかなければいけないので、そういう管理をしていくということになるわけであります。そしてですね、あとでまた言いますけど、結局は松川の方へ来ている水というのは、ちょっとイメージを描いて欲しいんですが、いたち川というのが、だいたいど真ん中、流れてきておるんです。そして、一番始まりはどこかと言うと、セレモニーホール富山、西番、葬祭場がありますね、あそこの駐車場のところに取り入れがありまして、あそこからずーっと、富山鉱泉の前の太田の方を通って、そして、清水町の方を通ってですね、このいたち川というのが(北陸)電力のそこまできているわけであります。今言ったように、このあたり。これがいたち川。そして、後で言いますけど、もう一つは、太田川用水というのがあるんですが。皆さん、土川って聞いたことあるでしょう。これが熊野川なんですが、土川っていうのはこれなんです。土川と太田川が合流して、ちょうどここはどこかと言うと、富山市の掛尾にあります市場ありますね、あの裏の方ですね。そして、ここへ土川がこう流れてきていると。ですから、この一帯の水がですね、松川の方へ落ちてきているというふうに理解して頂ければいいと思います。これ大きくしたもの。ここでちょっと一つだけ、ありますが、ここに横に走ってる水路があるんです、これ。これは何かと言うと、広田用水補給水路と言いまして、ちょうど海側の奥田から豊田にかけてですね、水が足りないんです。それで、本来であれば常願寺川の水をまっすぐ送ればいいんだけど、送っても足りないもんですから、土川に落ちてきた水をここから取って、横へ補給してる水路が広田用水補給水路。ですから昔の人は、そうやって水を、足りなかったら、自分たちの利益の中で、あるとこから、2回目、3回目と繰り返して、取水してやってきているこういうのがあるということを是非また見て頂きたいと思います。

町の中にも水を流すことが極めて大事

それで、松川に流れている水を整理しますと、要するに農業用水が、頭から入ってきてですね、この地域を流していると。そして、先ほど言いました太田用水路ですね、それが太田川になって、松川に入っていたち川に入って神通川に入っていくと。そして、清水又用水というのは、これはいたち川のさっき言った、西番のセレモニーのあそこから取っている水路でありまして、それが松川に行って、いたち川に行って、神通川に行っている。こういう水がですね、松川に注ぎ込んでいるんだ、ということをですね、ご理解して頂きたいと思います。ところで、農業用水というのはどういう水かと言いますと、1月から12月、こう見てみますと、農業用水というのは、灌漑のため、要するに稲を作るために、作物を作るための水だということに定義されているんです。それで、水田の場合は、ほとんど、5月にですね、代(しろ)かきということで、その時に一番ピークの水が必要なんです。それから9月の末まで、稲を作る時に水が要るということで、こういう水の使い方をしているのが農業用水なんです。ところが、このまっすぐ、非灌漑期、要するに、田んぼは、耕作してない時に使う水というのは、水路はですね、水を止めてしまうと涸れてしまうので、やはり、維持管理上ですね、常にある程度、一定の量を流さなければならないということで、一定量だけ認めてもらって、流してるっていうのが維持管理用水ということなんですね。ですから、農業用水といえど、水のある時とない時が変化してるもんだということを覚えておいてもらえばいいと思います。それで、私はですね、真の「水の都とやま」にするには、とにかく、農業用水が、神通川に向かってきてるんだということ。そして、網の目のようにして流れているということ。そして、その水はですね、常願寺から横江の頭首工、あるいは、有峰やいろんなところで発電をしながら、横江頭首工と発電の水を経てですね、常西合口用水路が全部受けて、平野部へ流されている、と。そして、水田のあるところまで用水が供給されてきていると。こういうものがひっくるまって、農村を経て、町の中にも水が流れていたので、そういうところに潤いがあったと。身体で言えばいつもそうやって流れていれば健康な、健全な県土である、と。しかし、水が流れない地域が出てきていることは、大変不健康で不健全な県土だと。これをなんとか改善していかなければいけない。つまり、血液を、水を流すことが極めて大事じゃないかなというふうに思ってます。そこで、今現在、農業用水が流れていない地域はどこだろうか、ということを、是非、皆さんに考えてもらいたいんです。さっき言いました、常西用水の上滝、太いのは、常西幹線用水。これが、いたち川。松川は、ブルーのここが松川です。そして、土川というのはこうなってる。みなさん、こうやって見てわかると思いますが、昔はさっき言いました、このあたりまでが本当の市街地といいましょうか、城を中心にした町があったところなんですが、西中野から上流は全部、田んぼで、農村地域だったんです。ということは、全部ここに田んぼがあったんです、田んぼが。ところが、ご存知の通り、田んぼが全部なくなってしまって、住宅や商業地ということで、ほとんど埋め尽くされてしまってるわけであります。ということは、田んぼのないところには、農業用水が流れ込まないということになるわけです。ですから、これが、高速道路ですけども、高速道路から、北側というのは、かなり宅地化されていて、この地域が潤いがなくなってきているんじゃないかと。特に、今はですね、これは四ツ谷川とか、冷川とか、これ佐野川なんです。先程、話があったんじゃないかと思いますが、この松川に流れ込む水が、さっき言ったように、農業用水がなくなってしまうので、ほとんど汚くなってしまってですね、雨水しか受け取れない、そういう松川になってしまったんです。それでなんとかしなければいけない、ということで、土川からの水を、佐野川に入れようということで、2トンぐらいの水を入れてされていると。ですけど、果たしてそれだけでいいんだろうか、と。やっぱり、この街の中に、水をですね、流すことがですね、富山が本当に住む人にとっても、水の潤いながら住める環境の水の都の街になるんじゃないかと思うわけであります。

水が湧き出す円筒分水槽のような
噴水を街の中で見せる

そこで、今ほど申し上げましたように、こういうところへ是非水を流すことを考えてみてはどうでしょうか、と。特に、水の都になるためには、特に街の中、ですね、松川がこうありますが、この上流部もそうなんですが、この松川といたち川、これ、赤江川なんですが、特にここらへんをですね、そういう水を流して、松川が直接こう、水を受けれるような環境づくりを是非ですね、やってもらいたいもんだな、と。その水は何なのかと言うとですね、「環境用水」ということで取れるんじゃないかなと。先程も言いましたように、繰り返しになりますが、要するに、水田がなくなると農業用水が減ると。今までは、農業用水というのは実はですね、作物だけのためじゃなくて、防火用水であったり、野菜などを洗う水だったり、水まきをしたり、あるいは環境を浄化する水だったり、冬になりますと融雪をするような役割をしていたわけであります。そう考えると、農村用水と言ってもいいんじゃないかと私は思ってるんですね。ですから、こういった灌漑だけではなく、防火とか、水まきとか、浄化とか、が果たせるような、こういう水を、新たに取得した方がいいんじゃないのかなと思うんですね。今は、田んぼがなくなると、まったくゼロしか水が取れないんですね。さっき言った維持用水も取ることができません。ですから、こういう水をなんとかですね、取れないものかなと思ってるんです。ですから、地域に水がなくなり、潤いがなくなってきていると。だから、環境用水としての水が大事じゃないかと。この環境用水というのは、土地改良区は持つことはできないので、これ行政で、富山市さんが是非取ってもらって、それを流していく、と。こういう仕組みをやっていかなければいけないんじゃないかなと思います。ですから、さっき申し上げましたように、この維持用水と言われる、この部分をですね、いくらか取得できれば、用水に流すことができるということなんです。これをですね、是非、富山市さんに取得して頂いて、宅地が進んだような水路に流すということを考えなければいけないんじゃないかなと思います。そういうことで、知事が最近言ってる言葉なんですが、富山には豊かな自然や水とか食べ物がもちろんありますが、そういうものがそろっているのが幸せの一番だと。そういうものがちゃんと実感できる環境を、ここにしかない、富山にしかない、そういう自然や暮らしをやはり、もう一度見直して、そういうものを作り、求めて、そして、そこに住んでいる皆さん方がですね、それを誇らしく、生きやすい場所になっていくということをですね、実現させていくということが、大事じゃないのかな、と。いわゆる住む者が、自分の住んでる水が、住んでるところに、こういう歴史ある水が、先人の苦労で流されて、そして私たちが享受して、生活できるんだと。それをきちっと我々が守り受け継いでいくというそういう環境づくりというのは、非常に私は大事だと思ってます。そういうことで、じゃあそういうものをですね、どうやって富山の街で表現できるのかなということなんですが、私なりに思ってみるのは、ずっと西番の方から傾斜があって、あそこのいたち川の取水口はだいたい120mぐらいなんです。今、ここらへんでいくと、だいたい7mか8mぐらいの標高なんです。わずか12、13キロぐらいの間でですね、それぐらいの勾配があるわけです。そういうものを、例えば、南富山の駅前にそういう湧水の湧くようなものを作ってですね、下の方にどんどん、どんどん、つないでいくとかね。標高ですけど、南富山で19mぐらい。ここへくると、7mぐらい。桜橋で8mぐらいですから、勾配は充分ある。そういうことも活用しながら、水を流すことを考えてみたらどうかなと。で、これはですね、サイフォンの原理と言って、富山県には農業用水で導水する時にサイフォンの原理を使った、こういう分水工というのがあるんです。これは今言いましたように、下からですね、パイプで持ってきたものをここで自然の圧力で噴水させて、そして、これをそれぞれの割合に応じて、水を分ける、そういう分水工があるわけです。そういうものを県内にいくつかありまして、こういう姿をですね、街の中に見せるのもいいのかなと。そうすると、じゃどこに流せばいいかと。ちょっとグッドラックの地図を見て調べてみたんですが、昔の神通川、今、松川になっている。これ、昔の街です。そして、昔んお城があった周辺に、外堀、内堀があったと。こういうところにですね、水を流すこともおもしろいんじゃないかということで、例えば、こういう角角に小さい噴水が出てくるような仕組みを作ればですね。これ実言うと、水道水でも可能なんですよね。水道水を1回上げて、ぐるぐるやっとけば回るんです。自然の流れでいくと、雨降った時は当然、用水は止めるんですが、排水しか流れてこなくて、濁り水が出てくる可能性があるので、そういうところへ水を湧かせると。今みたいな原理でですね。そうすると、用水路を使って歩道へ流してもいいんですけど、なかなかそういう場所を取れないということがあるので、パイプで水をつないでも面白いのかなというふうに思うわけです。とにかく、湧水でつないで、この堀の中に入れることもいいし。それから、富山市の松川に囲まれた駅前の方についてはですね、今、噴水があるじゃない?面白い噴水が。ああいうものも取り入れたら本当にいいのではないかなと私は思います。ワクワクというのは、元々の原点は、この水が湧いてくることを見てですね、心が踊らせるということで、湧く湧くということなんですね。ですから、こういうことをヒントにして、何か考えてみたらと思います。

先人達の涙ぐましい努力で安全な水が
得られているという歴史

そこで、松川を活かすにはですね、今ほどの話を含めてですね、やっぱり、松川が神通川の馳越で作られている歴史というのはもちろんあります。その他に、今言ったような水の歴史に、皆さん方がですね誇れる、こういう水なんだよということをですね、自慢できるような、そういう歴史性というのはですね、私は必要でないのかなと思うんですね。そして、先程も言いましたように、洪水のたんびに、立山砂防や暴れ川の常願寺川の直線化とか、常西合口用水の歴史とか、そして、発電とこの上水と洪水がですね、非常にこの今まで、農業用水の歴史の中ではですね水を分ける、という作業がですね、大変だったんです。で、発電一つやるにもですね、農業用水に不都合があるんじゃないかといった先輩たちの苦労を得ながらですね、割愛しながら、発電水利権というのは取られています。それから今、富山市の上水もですね、これは本当に恵まれているんですね。本当はダムを一つ作って、いろんなところで確保されているんですが、この農業用水が、農地が減って、農業用水が減ったことによって、上水の水源がですね編み出されているということなんです。しかもしれを、ダムを作らなくて、今まで通りの取水をしながら常西用水を通ってですね、その中から上水道を使っているというのはですね、これは画期的なんですね。そして、なによりもですね、上流で取った水を発電で回し回しくるとですね、水が汚れないんですね。ですから、きれいな水がですね来ていると。上流の方で濁り水が出れば、これ仕方ありませんが。そういう意味で水温なども本当に冷たくてですね、そういう水が来ているというのは本当に誇れるものだと思うんですね。それからまた、そのおかげでですね、石倉町の延命地蔵の水だとか、地下水が豊富なんですね。そして、この自然の恵みを語れるというのもいいと思うんですね。昔は、大泉の方でも水が湧いてました。小泉の方でもそうです。清水でもあります。その名残りがこの延命地蔵の水なんですね。ですから、先人達の涙ぐましい努力によってですね、安全な水が得られているということを、是非、使わなければいけないんじゃないかと思います。

公園の中に街を作る発想を

そしてまた、先程言いました、公園の中に街を作る発想を是非、推したいなと。今、どちらかと言うと、市街化区域とか、いろんなところに、街の中に公園を作ってきているんです。ですから、公園を作れば公園の中っていうのはきれいで美しくて、ゴミが少ないとか、安らげるとか、楽しめるとか、癒しになるとか、あるわけですね。私は、公園だからそうじゃなくて、街の中全体が公園の中に住宅があるとか、会社があるとか、病院があるとか、学校があるとか、いうことにすれば、大事にして、みんなできれいな運動ができるんじゃないかと思うんですね。そういうところに住めるということは、一つの誇りになるんだろうと思うんです。こういうまちづくりをすべきじゃないか、と。そして、やっぱり、公園の意味を決める。たとえば一つはですね、上滝を頂点にした、広い範囲ですけど、これはやっぱり公園だという位置づけだとか。それは広すぎるから、環水公園から、今の松川に囲まれたその一帯を含めてやるんだとか。あるいは、今、ライトレールが循環してますが、そういう街の中だけに特定してですね、まちづくりの公園だという位置付けをしてですね、そういうところに施設を配置していく。そういう考えがいいんじゃないかと。これ、みなさん、私がこれ作ったんです。これは新幹線、これ、富山駅ですね。これ、環水公園です。これが、さっきから言う、松川がここにこう流れていまして、これが木町の浜で、いたち川と合流して、ここからいたち川がこういうふうになるわけですね。松川がここからここまで、ということなんです。ここだけの整備もいいんですが、いろんな形でこうやって見るとですね、考えてみなければいけないのかなと思うんですね。一つはですね、環水公園、それからブールバール、これ一生懸命やってます。そして、駅前広場。そして、松川があって、丸の内の交差点、そして、大手町モールと続くわけです。私はこうやって見た時に、これは、黄色い部分は環水公園。このあたりがですね、駅前とこれはブールバールつくるところですね。そして、こっちの方へ行くと、県庁とか、高志の国文学館。これが城址公園、と続く。この動線を何とかですねうまく作ることが大事じゃないかと。特に、駅前広場から、今、駅前を南北の広場をとても清楚な街で、ちょっと金沢と違って、金沢が好きな人は、「富山駅は何もない」とおっしゃるけど、私は、これからの生活スタイルを変えていくには、ああいうスタイルの清楚なきれいな街がいいんだろうなと思ってます。その続きを、富山駅前から、電車道通り、丸の内交差点、この大手町のここへくれば非常にまたきれいになってるわけです。この後、ここをですね、花と水のロードで繋ぐ、そういうことをしたらどうでしょうか、と私は思います。

松川から環水公園、富山港までの散歩コースの整備
船で繋ぐためにいたち川の洪水対策をして閘門を作る

そして、もう一つはですね、散歩、ランニング、サイクルコースの整備というふうに書いてますが、今度は、いたち川と松川沿いにですね、そういうものを配置したらどうだろうか。これは、樹木とかいろんなもので整備されてますが、大変、草もボーボーになってて、非常に汚いわけなんで、こういったところを整備すれば、ブルーに塗ったのが宿泊施設、ホテルなんですが、こういうところに宿泊される方、あるいは県民の皆さん方が、ここへ来て歩ける、そういうコースを是非、整備しなければいけないんじゃないかと思います。そして、もう一つは、よく言われているんですが、閘門でつなぐ。いたち川と松川ですね。これは、富岩運河の中島閘門があって、ここに牛島閘門があって、もう一つここに閘門ができれば、船がずっと環水公園まで、あるいは、富山港まで繋ぐことができるんです。ただ、ここの課題はですね、いたち川から流れてくる洪水をですね、どうやって迂回させるのか、バイパスさせるかということがですね、大きな課題なんです。たとえば横へバイパスを作って、サイフォンで作るのも大変ですから、バイパスを作って、洪水の時はそこへ流して、ここには閘門を作ってですね、平時の時に行き交うことを考えるとか。そうすると、本当に、クルーズ船も富山港へ来たら、ずっと船に乗ってここまで来れるということもできるんです。ですからそういうことを描きながらですね、これは考えてみてはどうかなというふうに思います。

富山市役所の向かいは大事な場所
水を活用したアミューズメントできるようなものを
桜木町も飲み屋街だけでなく、混在型の楽しめる街を

それでこの赤く、ピンク色に塗ってありますが、これは皆さん、何かわかりますか?これは駐車場なんです。これがですね、立体駐車場は書いてないんで、平地にある駐車場を塗って見ると、私もずいぶん調べて塗ったんです。これぐらいあるんです。この駐車場をですね、どういうふうに使っていくかと。いうことを考えてみたらどうかなと。今、私がこれ、松川の整備のお話したことなので、ありますが、花と水のロードを作ったらどうか、と。リバーロードというのは、迂回していくやつですね。それともう一つは、松川のところです。こうなるとですね、今申し上げたように、ここが花と水のロードでこういうふうに結べば、間違いなく歩けるいい環境になりますし、いよいよ、この松川をどういうふうに整備するかということなんです。私はですね、舟橋の周辺とか、あるいは高志の国文学館のこういうところにちょっとしたステージがあります。それから今、中村さんがおられるところが、塩倉橋のここですよね、そして、今、ここにもですね、七十二峰橋のここにもあります。それからもう一つ考えられるのが、木町の浜というここのステージですね。私は何よりもですね、ここが一番大事なところだと思うんですね。今、塩倉橋があって、富山市役所の向かいです。ここに石崎さんのビルがあって、佐藤工業があって、第一ホテルがあるんです。ここが唯一、私はですね、大事な場所だと思います。ここは再開発も言われてますが、ここにですね、水の滝とか、水を活用した、そういうビルと言いますか、アミューズメントできるような、そういうものがここにあればいいのかなということと、それから、澤田さんもおられますが、この桜木町も個人的に言うと、かなり老朽化もしてきています。ですから、新しい街に続くためにはですね、飲み屋街だけではなくてですね、もちろん、地主さんがおられるわけでありますが、総曲輪とやっぱり続けられるような、混在型の、楽しめるようなそういう街を作らないと、駄目なんじゃないかと思います。先程も言いましたように、今までは1次会で飲んで、2次会で歌を歌って、3次会でまた歌を歌うと。そういう生活スタイルは、たぶん、若い皆さん方には、おそらく通用しないんだろうなと。これからやっぱり、ゆったりと食事をしながら、あるいは飲みながら飯を食べるとかね。そういう場所を提供できる唯一の場所が、松川と一体的になれるのが、ここではないのかなと思うんです。昔、私が提案していたのが、この金茶寮のあったところからずっと川を掘って、41号線までやれば、4〜5mぐらいの落差が取れますので、そこに、水辺に飲み屋街を作ったら面白いんじゃないかなというようなことも思っていたんですが、なかなかそこまではいけないので、是非、ここをですね、なんとか、そういうものにしてもらえるような整備をすることが、この松川一帯のですね、遊びとか、音楽とか、いろんなものがありますが、そういうことが楽しめるステージになるんじゃないかなと思います。是非またそんなことも頭に入れて頂いて、そして、こういう駐車場がたくさんあるんですが、とにかく、路面電車の見えるところには駐車場がなくなるような、そういうまちづくりをですね、してもらいたいもんだなというふうに思ってます。そんなところで、先程も言いましたように、事実、富山の駅前、CiCの前にはこういう噴水があって、滝が流れるようになってるし、それからまた、これ、ここのね、ホテルの前になってるわけですよ。こういうイメージというのは、非常に私は水があるなという環境を作るので、さっき言った、下から湧いてくるから、いいのであって、是非そういうのを。それからやっぱり、駅前のこういう感じがですね、ずっと丸の内まで続ければいいのかなと思ってここに並べてみました。そして、さっきも言った第一ホテル、あるいは佐藤工業さんの方でも、まぁこれは熊本のビルの中にあるこういう滝を利用したまちづくりをやってる姿ですが、こういったようなものをイメージしてですね、横に飲み屋があってもなんでもいいですが、そういうものを見ながらやると。それから、華明橋の、市役所の対岸なんですが、こういうステージがあっても今のところは活かし切れてないので、やっぱり、手前の方にもですね、観客が座れるようなそういうものを作ったり、そういうこともですね、現在あるものを活かしたらいいのではないのかなというふうに思ったわけであります。

実現のために、まず一番大事なことは
富山市が街のグランドデザインを作ること

そんなことで、じゃあこういったようなことをどうやって実現していけばいいかということなんですが、最後に。やはり、何と言ってもこれは、富山市さんが、街のグランドデザインをですね作る、ということが、まず、一番大事なわけです。そういう中で、県との協議だとか、あるいは、民間との役割分担しながらですね、進めていくということだと思います。そして、一番大事なのは、要するに、市民が誇りを持って水を語れる街にするためにはですね、今までも皆さん方のこの協議会がいろんなところで取り組んでいるわけでありますが、まさしくそういう民間組織として、そういう皆さん方に声をかけて、どうやったらいいかということを啓蒙していくという作業が大事じゃないのかなと思います。特に、歴史性とか、あるいは、自分達が住んでいる街が自慢できるものにするためにはですね、大人もそうなんですが、子どもの教育というのが極めて私は大事だと思うんですね。子どもさん方に、富山県で、富山市で住んでいる水が、どっからどうやってきているか。それが、ちゃんとここまで運営管理されて松川まで来て、それがいたち川へ抜けて、ちゃんと生きているんだと。そういう水の中に、私達の命がですね育まれているんだという教育が是非やっていく必要があるんじゃないかと思います。そういう意味では、この協議会の組織といいましょうかね、もっと仲間を増やして、そして、いろんな子ども達の団体とか、そして、そういうものを作っていかないと、なかなか行政を動かすことができないんじゃないかなということをですね、大変思ってます。そのきっかけが、来年、2023年が120周年になるので、今日、舎川さんとか成田さんとか高道さんが来ておられますが、是非、そういうことをですね、今まで構想もあったんですが、それが立ち消えになってますので、そういうことをやってもらえることが、やるということが大事じゃないかなと思います。そんなことで、私もですね、冒頭に申し上げましたように、水が好きで、水と共にいろいろとこう、政治活動をやってきています。そういうことで、何か活かすことができないのかなと思って、ない頭を絞りながら、常に考えていることとですね、今日はこんなことをしゃべったらいいんじゃないか、ということで、皆さん方にお示ししたわけであります。そんなことで、つたないおしゃべりだっと思いますが、本当にありがとうございました。ご清聴ありがとうございました。


【質疑応答】

司会 中川先生、ありがとうございました。松川を点ではなくて、常願寺川含めていろんな水源であれ、面で捉えると、いうような発想、非常に斬新でありましたし、また、街の中に公園を作るのではなくて公園の中に街を作る、という発想も非常になるほどな、と、いうことで、勉強させられました。個人的には、桜木町がなくなるとさみしい世代なんですが、まぁこれからの子ども達はおそらく、そういう時代じゃないんだろうと思って、斬新なまちづくりを考えてまいりたいと思います。それでは、せっかくですから、ご意見、ご質問のある方、いらっしゃったら、少しお話をうかがいたいのですが、いかがでしょうか?

中川 桜木町がなくなるわけではないので。飲み屋さんもちゃんと作りながらですね、いろんなものと混在しながら、入りやすいような、そういう楽しい飲み屋街にすることだと思うんですね。

司会 ありがとうございます。今井さんどうですか?何かご意見、ご質問。

今井 今井と言いますが、鮎釣りが好きで、入っていいのかわかりませんが、横江のあそこでずっと鮎釣りをするんです。すごくよく釣れるんですけど。いろいろあそこに興味があったので、まさか常願寺の水が松川に入っている、あそこの水が入っていると思ってなかったので、今日すごくびっくりしてました。水ということをすごく私も今、テーマに、いろいろ、考えておって、活動もしているんですが、またいろいろお聞かせ頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

中川 常願寺川には、内水面漁協がないんですね。ですから、自由に釣ってもいいんです。それでよく見るのは、いたち川でも、いたち川水系で、本郷の方に筏川という川あるんですが、あそこにも県外から、何を釣ってるのか知らんけど、たまに釣っておられるんですね。それから、今の常願寺川でいくとですね、大川寺のところに、雄山橋ですか、立山橋ありますけど、その上流から水路橋というのがあるんです。要するに、横江の堰堤で取った水を西と東で分ける。西の方、常西の方に持ってくるための水を流すための水路橋というのがある。その下の方でも結構、釣りされてますね。まさしく。たぶん、何かおるんかなと思いながらですね、釣っておられます。あそこはないんです、実際に。ですから、自由に釣っていいと言えば、釣ってもいいんです。

司会 はい、ありがとうございました。舎川さん、せっかくですから、よろしくお願いします。富山市の絡む話なんで。

舎川 ご指名でございますので、ご挨拶、質問させて頂きます。中川先生おっしゃるように、まちづくりを考えていくため、まちづくりをしていくためには、一番大事なのは、その地域の歴史をどう反映したまちづくりをしていくかと。そういった背景をしっかり大事にした新しいまちづくりを作っていくということというのはすごく大事だと思います。それはなぜかと言うと、先程おっしゃられたように、子ども達にもその地域の歴史をですね持続的にずっと伝えていく。新しいまちづくりなんだけども、ちゃんとその地域に背景があって、そんな歴史があって、それで今のまちづくりができているんだよということを伝えることは本当に大事だなと思って改めてお聞かせ頂きました。で、神通川、常願寺、そして、小名川でしたか、真川とかありまして、中川もいて、舎川もいる、というところで、川もたくさんありますので、来年の120周年に向けて、私たちも頑張っていきたいと思いますので、質問といいますか、富山市と一緒にですね、私達も精一杯皆さんの声を伝えていきますので、県の方もしっかり連携して、頑張って頂けますか、ということで、県と一緒にやっていきましょう、ということでですね、そのスタンスをお聞かせ頂ければと思って、よろしくお願いいたします。

中川 ありがとうございました。今日は、河川国道事務所の所長さんも来ておられますが、本当にまず大事なことは、誰が発案するか、ということなんですね。だから、いくら、県の川だとか、国の川だとか言ってもですね、まちづくりの原点は市なんですね。いくら県で作ろうと思っても、金つけてもいいんですけども、これ、どう作るかというのは勝手につくるわけにいかんのですね。今まで、どちらかと言うと、親水施設とか、要するに水辺の環境とかね、県もいろんなところでやってます。だけどそれが本当にまちづくりと合致してるかというと、なかなか合ってないんですね。そこのところは、私は、まず市が作って、そして、松川で必要なものはですね、いろんな形でお金集めて努力すると。そういうところで、国の事業や、県の税金が取れないところはね、民間に協力して頂いてやると。こういうことだと思うんですね。ですから、さっきも一番最初に書きましたが、とにかく、市で、県に行っても、市でどういう計画になってるのと聞かれるんですね。おそらく、国の河川に行ってもですね、じゃああるけど、じゃあ、まちづくりはどうなの?と言われると、そこが一番こけるところなんですね。ですから、是非、来年は120周年なので、今から準備して頂いて、予算も取って頂いて、早いとこやって、一つでも二つでも、できるところですね、私も間違いなく頑張りますので、是非、一緒になって頑張っていきたいなと思います。とにかく、県都・富山市ですからね。そこをですね、しっかりやらないと、富山県の発展はない、ということなので、そこは肝に命じてやっていきたいと思いますので、是非、よろしくお願いします。こちらこそ、よろしくお願いします。

司会 はい、ありがとうございました。どうぞ。

岩倉 ちょっと要望と言いますか、中川先生のお話の中で、桜木町の開発といいますかね、発展というお話があったんですが、私も常々、ずっとそう思ってました。私、不動産業をやってるんですけど、桜木町の中のあるアパートの管理をしてまして。で、そこのアパートを建てる時に、桜木町にまずアパートを建てて、成功するんだろうか、と。なんとなく、桜木町と言うと、歓楽街というイメージがあって、そういうところに住んでくれる人がいるのかな。いうことを常々思ってまして。実は、県立美術館ができる時もですね、桜木町あたりに作ってくれないかな、と思ってたわけです。で、本当に日曜日の昼間、富山県の首都と言いますか、県庁所在地の真ん中に誰もいない空間があるということが、ちょっとおかしいなと。で、まぁ東京なんかで言うと、歓楽街の代表というと、銀座ということになりますけど、銀座でショッピングしたと言ってもおかしくないし、銀座で飲んできたと言ってもおかしくない。けど、富山の場合、桜木町で飲んできたということは言えるけど、この○、桜木町で買ったんだよ、って言っても、ピンと来ないという、そういうところがあるので。やっぱりそういう商業施設もあり、飲み屋もあり、というのが、やっぱりいいんじゃないかなと常々思ってたんですね。そのためには、やっぱり、図書館であるとか、美術館であるとか、また、コンサートができるところとか、そういう文化的な施設を、民間の用地の買収の問題もあるんでしょうけど、そういうものができれば起爆剤になっていくのかなというふうに常々思ってます。県庁なんかも、そうですけど、金沢のように、旧県庁をですね迎賓館みたいな感じに利用していくとか、そういうことも必要なのかなということもまた、考えて頂けるとなと思っています。

司会 ありがとうございます。

中川 今おっしゃった通りなんで、私も本当に同じ考えなんです。で、とにかく、今、富山市は、コンベンションの街というふうにやってますので、レールの沿線から真ん中にかけて、そういう環境を作るというのが大事なんですね。だから、今、国際会議場一つしかありません。中には県民会館しかありません。あと、ホテルがあると。その沿線、もう一つぐらい国際会議場並みのがあればいいし、それから、今の県庁も、重要文化財になってまして、あの中に入って会議室を作るとですね、ものすごく重厚みのある、迎賓館みたいな建物になるんです。ですから、私は常々、県庁をあこに置いておくんであれば、今の噴水広場に20階建てぐらい建てれば、それで終わりだなというふうに思っていて。そして、今の県庁をそういう活用の仕方をすると。そうすると、国際会議場とか、県民会館とか、あるいは、迎賓館みたいな、県庁が生きてくるということです。県庁の南口もですね、大変立派な階段がついているんです。ただ、今、南別館があって見えないんですけども、あれを取っ払うとですね、すごいいい景色になるんです。だから、申し訳ないけど、危機管理センター、今、作ってますけど、私、あこに作るの大反対だったんですね。あれ、あんなところに作るとですね、迎賓館としての建物が死んでしまうんでね。だから、そういうことがあるんです。それと、もう一つはですね、まちづくり、NHKのそこいろいろと言われてますが、あこは僕は建てる必要はないと思ってます。ですから、今言ったようなところで県庁を建てるとすれば、あこがメインゲートになって、入ることができます。そして、こんなこと言っていいのかわかりませんけど、農協会館もほとんど、でかい割には空いてるんですね。ですから、あこに富山大学の教養学部か何かを持ってこればですね、非常に学生が行き来できることになって、人が歩いてる状況が作れる状況なんですね。そういう面では、青池学園とか、大原とか、ああいうのが駅前にどんどんできてくることは大歓迎でありまして、ああいうものが是非集中させていく必要があると思います。それから、桜木町の話ありました。私は本当にそうなんです。混在型の街を作って、そして、買い物がてらにそこでぱっと一杯飲んで帰るとかね、そういう雰囲気になれば非常にいいのかなと思うんですね。とにかく、呼び込みが激しいような、そういう人たちをですね、そういう人をですね、これはお願いしたいんですけど、誘致して欲しくないんですね。お金だけじゃなくて。そして、美術館の話もありましたが、あの当時、私は、富山県美術館作る時に、あそこは水がつくところだから、駄目だと言ってたんですんね。それで、今、さっき話ありましたように、今の場所、ど真ん中に、天空美術館でも作ったらどうやと。30階建てでもいいからグランドタワーみたいものをね。そこのところに、5階ぐらいとればね、美術館としたら、それこそ天空美術館ですから、収納にしたって何にしたって全部安全ですからね。そういったようなものを作れば、美術が好きでなくても、家族で買い物に来た時に、俺暇だからちょっと見てくるちゃと。こういう感じでですね、美術に触れることが大いにできるんじゃないかなと。今やっぱり、遊ぶ子ども達だけ連れてきて、美術館があるけども、そうじゃなくて、大人もね、やっぱり買い物行ったり、ちょっと飲む時間あるからその間にちょっと、企画展やってるからのぞいてみようかな、というところから、きっかけづくりができるものではないのかな、というふうに思うんですね。そういう環境というのはまだまだこれから考える余地たくさんあると思うので、ですから、是非、今日は澤田さんも来ておられますけど、桜木町のね、再開発、本当に大事だと思ってますので、是非、今の声も聞いて頂いて、お願いしたいなと思います。ありがとうございました。

司会 ありがとうございました。お時間も来ましたので、これにて講演を終了させて頂きたいと思います。皆さん、今日、大変素晴らしいお話を頂いた中川先生に今一度大きな拍手を。ありがとうございました。それではこれで、本日の水の都とやま推進協議会総会、すべてのプログラムを終了させて頂きます。ありがとうございました。

(文字起こし&文責:事務局〈月刊グッドラックとやま編集部〉中村青児)
※文字起こしの間違いなど、お気づき点がございましたら、事務局までご連絡ください。

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