“水の都とやま”推進協議会設立総会 第2部 記念講演 「サンアントニオに学ぶ松川の魅力づくり」埴生雅章氏(2017年5月17日)

“水の都とやま”推進協議会設立総会

第2部 記念講演 2017年5月17日(水)15:30 〜 16:00
「サンアントニオに学ぶ松川の魅力づくり」
埴生雅章氏
(元富山県土木部長、元 (公財) 富山県民福祉公園副理事長。現在、アートハウスおやべアートプロデューサー)

私、埴生でございますが、ま、昔、県におりましてですね、土木部、都市計画、公園、そういう仕事をしてました。中村さんとよく、県庁の中でですね、論争をいたしまして。松川を掘り下げて、サンアントニオのようにしないといけない。こうおっしゃるんですよね。いや、桜はどうするんですか?とかですね、いろいろ論争になりまして。それでですね、やっぱりこれは、現場に行って見てこなきゃあかん。ということで、今から12年前にはなりますけど、サンアントニオへ一緒に出かけました。そういうことで、百聞は一見にしかず、で、現地を見て、なるほど、とわかったこと、そういったことを中心に最初、少しお話をして、あと、松川のことについても少し、お話をさせて頂きたい、と思います。
2005年にまいりました。年間1400万人の、世界で最も成功したと言われる、水辺観光都市、こういうふうに言えるかと思います。そのサンアントニオ川の両岸に整備されているのがリバーウォーク、というふうなことですね。で、テキサス州はみなさんご存知のとおり、南の方ですよね。メキシコに接しておりましてですね、トランプさんが壁を作ると、このへん。メキシコ国境まで200キロ。メキシコ湾の海から200キロ入ったところ。サンアントニオ。120万人ぐらいの人口がありますから、かなり、全米でも大きい都市。これがサンアントニオの中心部ということで、先ほどから中村さんのお話にもございましたが、ここにもサンアントニオ川が流れておりまして、ここがリバーウォークのところなんですけども、1968年に万博をやりました。その時の会場がこのへんで、コンベンションセンター。ここまで水路が繋がっている。リバーウォーク、ショッピングモール。こちらの方にも水路が繋がっていまして、水辺と公園とが一体になっている。で、昔、西部劇で有名なアラモの砦。これが、ここにあります。これ中心部を拡大いたしまして、もともとアラモの砦というのが、歴史を生かした観光の拠点だったわけですけども、コンベンションシティにしなきゃいかんと、コンベンションホールを作って世界万博を誘致した。お客さんが来て、リバーウォークのところを歩いて、みなさん、ぞろぞろ、ここを歩いて、これはすごい、これはいいところだと。いうことで、地元の人もそれに気がついて、それからどんどん、どんどん、よくなっていったということであります。もともと、神通川と同じ、曲流して、こう、サンアントニオ川は流れておりました。で、洪水をおこしたら大変なもんですから、ここに水門を作って、水は入ってこないように、カットされる。川のバイパスがここにできてると。で、したがって、歴史がありまして、新しい名所を作ってですね、そして、お客さんを創り出している、こういうことであろうかと思います。で、現場へ行きますと、このような風景が、次々と展開する。川の幅はあまり広くないですね。だいたい平均10メートル。5、6メートルぐらいのところもある。かなり狭い、劇場のところでぐーっとまわる。先が見通せないんですね。次々と、次、何が出て来るか、という楽しみがある。日本の回遊式庭園をボートで楽しむ、こういうスタイル。そこへきまして、キーワード。一応、7つのキーワードを発見した、と。自分では思いまして、順番に、掲げますと。まず、オアシス。とにかく、こんなすごい大木がですね、川の縁に残されて、まわりは都市化されてるんだけど、これが渾然一体となっている。自然を大切にしている。で、この生えてる木。これはヌマスギというものです。これも実は、川の縁の、水がひたひたと来るようなところに生えてくるんです。したがって、うしろの丘の方に生えてたんじゃなくて、もともと、川の、水辺の縁に生えてた。そうすると、ヌマスギを川べりに残しながら、こっちに歩道を作って、後ろ側を都市化していった。それで、うまく、共存できたと。いうことだろうな、と思います。それで、そうなる前はどうだったんだろうかということで、中村さんと、その現場を調べに行こうということで、上流の方へ遡っていきました。それが、この景色です。松川と同じですね。川がありまして、両岸が斜面になってて、木が生えてる。もともとはこういうようなスタイルだった。で、ヌマスギも、ここにはちょっとヌマスギないですが、ヌマスギが生えている。ということですから、基本的には、昔のサンアントニオは、松川と同じスタイル。それがこういうふうになっている。途中経過はいろいろあるんですけども。現状は、このように、非常に、都市的なものと自然が、非常に調和している。で、見どころは、史跡、アラモの砦。たくさんの人が来ております。アメリカ独立のために、メキシコ軍と戦って、全員が玉砕したと。いうことで、アメリカ建国、独立の一つの聖地であります。リメンバー・ジ・アラモ、というのが一つの合い言葉になって。ここで売ってるお土産品、全部、その言葉が書いてありました。で、こういうふうに、歴史を大切にして、アメリカ建国の聖地ということで、いろんな解説が施されている。それで、建物とか、橋、歩行路、サイン、ものづくりを非常に丁寧にやっております。質が高い。これがヒルトンホテルです。箱を積み重ねてですね、短期間に作った。博覧会に間に合わせるために。そういうことなんですけども、にわかづくりにしちゃ、レベルが高いなというふうに思います。看板一つとりましても、それぞれ工夫がしてあります。これがどうも、ハグマンさんが自ら設計して、できた、こういう、歩道橋といいますか、コンクリート製の。新しくできた水門のところなんかも、なかなかデザインがしっかり。このお店の前、看板2枚しか出せないそうです。それで、全部、デザイン委員会みたいところにかけて、許可とらなかったら、勝手に出せない。というふうなことらしいので、ま、お店の前も非常にすっきりしている。というふうなことで。それから、4番目のキーワードは、食べ物。ハグマンさんの、80年前のハグマンさんの、世界のレストランをここに集めて、皆さんに楽しんでもらう、そういう構想が実現した、と。これ、お昼の時間なんですけど、とにかく人が多いです。まぁ、こぼれるほどの人が集まって来ている。毎日が博覧会状態、というふうなことでしたね。それから、5番目のキーワードが乗り物ということで、リバーボート、40人乗りのこういうのが、全部で40艘持ってるそうなんですが、そういうことが、船長さんが楽しく解説をしてくれる。いうふうなことで、年間200万人の乗船者がある。こういうふうに非常に楽しい雰囲気で、みなさんまわっておられる。このボートの寸法を中村さんと測りましてですね、それで、今、松川に浮かんでいるあの船の原型がこれでございます。これが、アーネソン・リバー劇場のところをですね、劇場でやってる、パチパチやってるところへ、船がこうやってくる。船に乗ってる人も、こうやって聞いたりですね。非常にそういう意味では、楽しい雰囲気であります。で、6番目のキーワードが催し。アーネソン・リバー・シアター。川の向こうに舞台がありまして、橋に楽隊がおって、手前が客席になっている。で、ダンサーはこっちの方へも来て、舞ったりするんですけども。向こうでも、こっちでも、立体的にやる。この建物、これがさっきの、鐘。誰々のためになるでしょう、という鐘。これ、ハグマンさんが自ら設計した建物がそのまま残っている。ま、こういうふうに、楽しく、なんとなく、スペイン風という感じがするんですけど。もともとは、インディアンの場所だった。インディアンの聖地だった。インディアンの聖地としてのサンアントニオ川のところへ、スペイン人がやってきて、開発して、スペイン人が作ったもんですから、サンアントニオという名前になっている。今は、そういうスペイン系というか、そういうデザイン、雰囲気、そういうものが、非常にやっぱりエキゾチックな感じもですね、示しておりまして、観光面で非常にそれが役に立っている、こういうことだろうと思います。これも、劇場の、人が入ってない時の様子。この時に、これも寸法取りをしてきましてね。是非、富山でもやろうと。それから、7番目のキーワードが、これ、10年前の時は、こう。これ実は、7番目は最近変えたんです。丁寧というのはですね、私は、7番目のキーワードに挙げたいなと思いました。とにかく、手入れが行き届いている。朝散歩しますと、これ、ゴミ掃除のボート。これがしょっちゅう行ったり来たりしてる。それから、これ、お店の人が、高圧のこれもって、ダーッと水洗いをしている。きれいにして、お客さんを迎える。お客さんを迎えるために、まず掃除をする。いうのがまず、大原則だと思います。お客さんを呼ぶための基本的なところがきちっと行なわれている。植物もきちっと管理されている。こういうのがやっぱり、丁寧に、本当に磨き上げるというふうな気持ちでやっているんだな、という感じがいたします。これは、先ほど中村さんの方から話がありましたので、説明をいたしませんが、80年かけて、今日。最初の洪水の時の写真。初期の頃、一番最初に川を整備して、歩道が出来始めた頃。そこで、先ほどもお話ありましたが、洪水調節ということを、完全にやり遂げたということなんですよ。これが、さっき言ってました、曲流してたところを直線化して、バイパスを作って、そこに水門を作って、上流にダムを作って、そして、地下水路を作った。地下水路は、川の上流から、川の水を洪水の時に、ドーッと流す、洪水を流すためのトンネルです。先程、中村さん、富山市の地下に掘ったトンネル、トンネルとおっしゃいましたけど、あれは、これとは違います。これは、下水、あくまでも下水の関係で。あとでちょっとまた出てきますけども。富山市とはちょっと事情が違うんです。で、洪水調節というのを完全にやり遂げたもんですから、グーッとこうなって、リバーウォークが作られているところは、水が上がる心配はない、と。いうところまできてますので、安心して、川の縁にお店を作ったり、そういうことができる。これは、ハグマンさんの、先ほど紹介ありましたように。これは、当時、訪ねた時の、これは案内してくれた、公園部の方なんですけども。日本だと、公園というのはですね、公園緑地課とか、そういう名前になってるんですが、むこうはですね、必ず、パークス&レクリエーションと言うんです。2つセット。パークスというのは、ハードで、レクリエーションというのはソフトです。ハードとソフトを組み合わせた名前になってるんです。ですからもう、河川の人ではありません。公園の人です。元、川だったけど、現在は、公園関係の人がここを所管してやっている、ということです。こちらの方は民間の方で、ボートの運営をしている会社の方。これが、新しい水路を開設したところで、こちらの方が、ショッピングモールの中庭に水路がつながる。ここでボートがぐーっと回転して、このへんで乗り場がある。ここが全部、ショッピングモールとなっています。それから、こちらの方が、コンベンションセンター、これも新しい水路が開設されている。初めは、非常に、緑が少なくて、評判が悪かったんだそうですけども、私ら行った時は、かなり緑が育ってきていました。で、整理をしますと、先ほどから言っています、この7つのキーワード、というふうなものになるんでないかなと思っております。で、これ、リバーウォークの魅力はどこから来るか、私は、技術屋なもんですから、そういう見方が強く出ておりますけど、他の方が見ると、また違うと思います。まず、7つ程挙げてますけど、自然と人工の要素のバランスというのが絶妙である。それから、古いものと新しいものが共存しているという。それから、乾燥地帯の都心に水と緑の楽園を創出した。サンアントニオというのは、だいたい、奄美大島と同じぐらいの緯度だそうです。で、雨量がですね、富山県からみると、3分の1ぐらい。非常に乾燥地帯で、気温も高い。そういうところに、水と緑の楽園を作った。それと、技術屋ですからこういうこと言うんですけど、土木、建築、造園、園芸というものを総合した空間づくりというのが行なわれている。とかく、土木は土木、建築は建築、造園は造園ということですけど。造園と園芸という近いものでさえ、別々の世界みたいな感じにどうもなりがちなんですけど、ここへ行きましたら、こういったものが、総力を挙げて、空間づくりをしていると。こういうようなことを感じました。それから、先ほど、看板の話出ましたけれど、景観デザイン統一による品格の保持。それから、非常にレベルの高い空間と楽しい演出。そういったものの相乗効果。にぎわいによって収益があがる、収益がまた投資に向けるということで、どんどん、どんどん、好循環が生じている。そういうことかなと思って当時考えていました。で、なぜ、成功したのかというのは、非常に雑駁なまとめ方でございますが、長年にわたり、夢の実現に向けて努力したということ。質の高い楽園、おもてなし空間を実現した。今、もうみなさん、日本でも、目が肥えてますから、レベルの高いものを提供しなかったら、もう、見向いて頂けないという時代ですね。それから、官民が協力して、楽園づくりを推進している。こういうことであろうかなと、当時、思っておりました。
まぁ、非常に簡単なまとめ方でございますが、以上がサンアントニオの話で、次、松川の話を最後に少し。
まず、松川というのはどういう川かということをきちっと知らなければいけない、というふうに思います。で、松川は、この西田地方のこのへんが、上流なんで、ずーっと流れてきまして、それで、松川の下流端は、いたち川の合流点。約2600メートルの距離。幅は、10メートル。県管理の一級河川。水門が松川水門。神通川の方へ水を吐いたりする水門。ここにいたち川との落差を調整するための、松川の水位を確保するということで、いたち川のところに固定堰が設けられています。そこで水位がちょっと上がってるもんですから、松川の方が、水が今のような高さで、こう。これがなくなっちゃうと、ずーっと引いてしまう。それから、牛島閘門の、これはいたち川にもなりますが、牛島閘門、環水公園の横のところに風船、ラバーダムね、で水位を調節している。こことここで、だいたい2メートル程落差がある。松川のところはわりと穏やかなんですけど、いたち川を越えたら、ここでサラサラ、サラサラと水が流れて、白い波を立てて流れております。ここが、高さずっと2メートル程、くだっていく。したがって、昔から、松川と環水公園をつないで、船を運航できないか、と、こういう質問が県議会で私が県庁におりました時もそういう質問。ついこの間も、林部長が答えた質問も拝見しましたんですが、2メートル落差ありますから、船が行けるようにするためには、2つの方法がある。一つは、この高さ、これでずーっと川を掘り込んでくる。ここの水位をこのままずーっと同じ水位にするために、川をずーっと掘り込んでくる。そうすると、松川のところで2メートル程下がるんです。そしたら、今、3メートル程下に水面があるのが、5メートル程、穴ぼこの、谷底に水があるような形になってしまう。これは面白くないですね。それから、じゃ、逆に、ここの可動堰を高くして、2メートルかさ上げして、でっかいもんにして、水をだぶーっと貯め込む。という方法にすればどうか。そうすれば、ずっと水が上がってきますので、船が行けるんですが。ここが非常に大きなものになっちゃってですね、ドーッと洪水の時、水が来た時に、そんなでかいものをうまいこと簡単に操作できるか、とか、いろんな問題がありまして、土木部長の答弁とすれば、「…というような課題がありまして、今後、充分、調査・研究してまいりたい」と、こんなようなことに今のところはならざるをえないと。こういうことでございます。今言いましたように、河川課さんからもらったデータによれば、現在の平常時の水位、地表から約3メートル下。これが計画では、2.3メートル上昇する。こういう治水の計画になっている。実際は、ここまでくるのはそうない。1メートル上がっても、しかし、かぶってしまう。年に2、3回はかぶるというのが現実。もう一つ、桜の…ヌマスギの位置はここにある。これが、サンアントニオ川の元の地形。想定して書いた。ここに建物が建ってしまってるんですけど。ヌマスギはここにあったから残ったんですけど、桜はここなんですよね。これで、今のままでやろうと思っても、桜とバッティングしてしまいますので、これはなかなか。もう一つこれは知恵を出さなかったらできませんね。こういうことになるわけです。で、もう一つの問題、当然、いたち川の水位が、洪水でダーッと上がりますと、バックウォーター。いたち川の水が松川を遡っていくことになるんで。松川の方、おだやかであったとしても、いたち川があばれたら、松川も洪水、増水する。こういうことになる。さて、いろいろな課題が、松川の魅力向上に向けてはいろんな課題がありますが、それらを整理して、分析して、対策を考えていく、ということが必要だろうと。まぁ、すでにある価値をどうするのか、新たな価値をどうするのか。この場所は一体、どういう場所なのか。歴史をたどる。価値を見出す。どういうふうなもてなしとか、サービスをするか。ものづくりはどうする。目的は何かというのははっきりしてるんですけど、具体的な目標はなにか、実現の方法はなにか。というようなことをいろいろ議論して、やっていかなきゃならないんだろうというふうに思います。既存の価値を高めるための方法というのを考えていく。桜もライトアップによって非常にきれいにされている。見せ方をどうする。そういうことも必要だろうと。それから、新たな価値を生み出すということでは、まぁ、川の中の問題。それから、両側の斜面の部分の問題、北側のフラットなところの土地利用のあり方。南側の土地利用のあり方。城址公園ですね。それと、図書館跡地。これいずれ、今、なんか動くんでしょうけど、このへんをどうするか。ということで、新たな価値を見出すというふうなことを、につなげていく必要があるだろうと。松川べりとは、どういう場所か。ということをちょっと書いてみました。松川べりとは、かつての神通川の名残りで浮き城のとなり。ちょっと語呂合わせみたいですけど。2つの水に囲まれた場所だったんですね。越中富山の原風景。有名な版画の絵がありますが、全国に知られた、山岳と水辺の風景が一望できる場所。そこに船橋が架かっていた。富山市の原風景だろうと思います。富山城は、水で守られ、水で浮かぶ浮き城だったと。いうふうなことであります。しかし、大半の水は埋められてしまったわけですし、造園屋としてはもったいないことをしたなと、このへんね、磯部の御庭というのがあったんですが、みんななくなってしまいました。こういう場所だった、この歴史というものを踏まえて、何か新しい価値創造につなげられないか、こういうふうな思いをするわけです。で、これは、今、お城、佐藤美術館の後ろ、それから、もとの神通川のいたち川、そして、この場所、遊具とかね、機関車とかいろんなものが置かれ、木が生えている。何の魅力もない場所だなーという感じがするんです。たぶん、みなさんも同じじゃないかと思いますけど。どうすれば、ここ魅力的になりますかねーと。で、松川べりの南岸というのは、旧神通川と富山城の内堀にはさまれた場所と。これが明治40年頃の写真だそうでございます。こっちが内堀で、こっちが神通川。これ、築堤。ここに水で挟まれた土地があった。で、ま、この、こういう場所だったわけですから、これをこのまま、昔の通り復元するというのは中々難しいわけですけども、何か、それを踏まえてですね、新しい魅力づくりっていうのができないもんだろうか、という気がいたします。で、富山市におきましては、城址公園と松川について、何回も計画が立てられております。立てられておりますけども、一部、実現しておりますが、こっちの方はこれからという。この図書館跡地どうするか。ここをどうするか、という問題はこれからということでございます。これ、平成20年の城址公園歴史文化ゾーン検討委員会の最終案ですけど。これ見てもらうと何となく、こっちに水を持ってきて、この水に囲まれた陸地を作って、そこをなんか魅力的にできないか、という趣旨のデザインになってるんですけども、この形でいいんだろうか、といわれると、ちょっと、もうちょっとよく考えんなんないですか、と。こういうようなことを言いたくなるような。最後、松川の魅力向上、価値創造体制図、ということで、ま、それぞれの専門分野を生かすということは、当然必要なんですけども、総合的な、これを都市戦略の観点からですね、それを持続的に、官民の連携・分担ということが必要だろうと思います。ですから、それぞれのセクションにはがんばってもらわないといけないんですけども、それを統括して、コントロールしていくという面で、ま、官側の役割、民側の役割、というふうなことも考えていく、ということが必要だろうと思います。最後に、私の私案ということで、まだ具体的なところまではいきませんけども、松川の魅力向上に向けての考え方、ということで、まず、基本は、松川を知る、好む、楽しむ、まぁ、論語にもこんなような言葉がありますけども、これが基本だろうと思います。それで、本物、ここにある本物は何か。本物の価値というのは何か見つけられるのか。これを磨いて、高質なもの、人々を感動させられるものをどうやったら提供できるのか、ということですね。考えないといけない。そこで、キーワードとしましては、この場所の歴史を大切にする。正直言いまして、城址公園、松川のこのあたりについては、歴史を大切にされているというふうには思われないですね。今までちょっとそういう点がおろそかだった。富山城というのは、大変な価値を持っているものだというふうに思いますけども、それが充分に生かされていない。それから、立山の眺めを生かす。富山市は生かしているか?生かしてないと思いますね。美術館の屋上に屋上庭園ができました。そこでダーッと見えるようになりました。私はやっぱり、富山市の宝は立山連峰の眺望。山岳景観都市。これ、他にないですよ!これを生かすべきですよ。高い建物を作ったら、屋上庭園を作れ。立山連峰を借景にして。どうだ!オラとこで、オラとこの、この借景庭園で立山連峰を見に来い、と。こういって、各ビルが競い合う。そういうような構造にしていけば、少しは生かされるんじゃないかと思うんです。残念ながらそういうふうにはなっていない。富山のビルの屋上は、富山市の展望台も見てご覧なさい。いろんな設備だらけです。ね。水の素晴らしさを表現する。これをどうやるか。今あるものだけじゃなくて、新しい形で何か水の素晴らしさというものを表現できないか、ということ。それから、四季を通じた、○○の名所にする。桜の花はもう既に。四季を通じて、何とかの名所にする。もう少し何か、みなさんに感動して頂けるものを出せないだろうか。いう感じが。それは、それぞれが考えないといけないんじゃないかと思います。それと、当然、これらとリンクしますが、船遊びの楽しさ、満足度を高める、ということ。
まぁ、時間がだいぶんきましたので、これで終わらせて頂きます。みなさん、これから、いろんなことを考えられると思う。少し何かヒントになればありがたいと思います。以上で終わります。どうもありがとうございました。